穏やかに、でも楽しんで暮らしたい

1人暮らしシニアの日々

私とピアノのお話

ピアノや音楽のブログを拝読したせいか
ふとピアノの事を書きたくなりました。
最近「蜂蜜と遠雷」を見たからかも。
あんなピアノが弾けたら気持ちがいいでしょうね。



母は音楽(歌うこと)が好きな人でした。多分。
私が本当に小さなころ、家には童謡のソノシート
(ペラペラな薄ーいレコード、ご存じですか?(笑))
があり、卓上プレイヤーで良く聞かせてくれました。
母が何かしながらよく童謡とかを歌っていた記憶があります。


私が少し大きくなった頃、そういえば最近あまり歌わなくなったねと
聞いたら、病気をした後、声が低くなって歌いにくくなったと
本人は言ってました。本当にそんなことあるのかどうか、
今は確かめるすべはないのですが、
それだけ自分で気にいって歌っていたのでしょう。



その母が私にピアノを習わせてくれました。
私が希望した覚えはないのですが、
早生まれの私に何か特技があればなと思った、、と
後で言っていました。


始めは家にピアノはなく、
通っていた小学校の音楽室にあるピアノを使っていいという
許可をいただき、音楽室に良く通っていました。
そんな融通をきかせてくれる時代だったんですね。
ま、母が学校で司書のような仕事をしていたという背景もあるのですが。



学校の音楽的なイベントがあれば校歌の伴奏をさせられました。
その頃ピアノを習っている人はあまりいなくて、でもその数人のなかで
私が選ばれて弾くというのはちょっと得意な気分でした(笑)



高学年になってくると家にあるオルガンでは鍵盤が足りなくなり、
親にピアノをねだりました。
そんなにお金持ちでもなかったのですが、ついに
ピアノを買ってくれて、それは私の宝物になりました。



ディアパーソンというメーカーのもので少し茶色がかっていて
透明感があり木目が透けて見える美しいピアノでした。
毎日のように磨いていた記憶があります。



でも、残念ながらピアノを習うというのは中学生どまり。
その後は自分で好きな楽譜を買って楽しむ程度。
ちょっともったいない事をしたなという気持ちは
今でもありますが、、これは仕方がないですね。
そういう私だったという事です。



結婚後、ピアノは実家に置いていたのですが、
実家の引っ越しがあり、ピアノはまた私の元にやってきました。


その後子供たち3人にも習わせました。
家にピアノがあるんですもの。
でも、、ま、それぞれ向き不向きがあり、
次女だけが高校になる頃まで習い続けてくれたので
今でも多少は弾けるかな。


今でも2人で「ねこふんじゃった」の連弾遊びくらいは
やってしまいます。


いくつかの楽譜は度重なる引っ越しにも
捨てられずまだ持っています。
好きな映画の曲を弾いてみたり、、懐かしい。

中学生最後の発表会で弾いた
「トルコ行進曲」は今でも耳にすると指を動かしてしまいます。
手が大きい私にはオクターブをまたぐパートが多いから
おすすめと言われて練習した曲です。
今は全然弾けません。



今ピアノは残念ながら夫が住む家に置いたまま。。


家の建築上の問題で建築途中に搬入したので
家の一部を壊さない限り持ち出すことはできないのです。
心の片隅にあのピアノの最後は私が何とかしたい、、という
思いはあるのですが。


今うちにあれば弾くことができるのにね。



ピアノは、、、いつもは忘れているのですが、
母の思い出、
小さい頃からの色々な思い出
子供たちとの思い出と色々なものが詰まった大事な物で、
時々いろんな所で耳にする音がそれを私に思い出させてくれます。