穏やかに、でも楽しんで暮らしたい

1人暮らしシニアの日々

生まれたところはやっぱり特別?

明日はお彼岸。
今朝の空気は少しだけ涼しさを感じました。
それでも今日の最高気温は30度にはなるそうです。



昨日兄からお墓参りに行ってきたよと連絡がありました。
実家のお墓は高知にあります。


兄も関西に住んでいるので高知まで行くのは手間な事ではあるのですが、
兄夫妻がお彼岸には必ず行ってくれています。
他にあのお墓を訪ねる人は誰もいない。。



最近高知の事を時々思うようになったのです。トシのせい?
高知には生まれてから16年くらいしか住んでいなかったですし、
今住んでいる街には40年以上住んでいるのに。


朝ドラの「らんまん」のおかげで毎朝土佐弁を聞くので
そのせいでしょうか?
東京に長く住んでいたら土佐弁はあんなにずっとはしゃべり続けないだろうなと
ツッコミはいれたくなりますがそこは良しとしましょう(笑)



「らんまん」はもうすぐ終わってしまうので早くもロスになりそうと
感じています。
俳優の皆さんの土佐弁を聞くのは楽しかったです。
あーこの人上手~とか、
ちょっとイントネーション違う、とか。



でも今日のあさイチに出演されてた神木隆之介さんも言われてましたけど
明治時代にどういう言葉が話されていたかなんて誰にもわからないですし。
私が小さい頃に聞いたお年寄りの土佐弁とかも今は使わなくなっているようです。



私がたまに高知に行ったときに喋る土佐弁もひょっとしたら違和感があるのかも
しれませんね。こちらでは一切土佐弁はしゃべりませんし。
兄と話す時に少しでるかな?



父が亡くなって随分経ちますが、生前よく高知に帰りたい、高知に住みたいと
言っていました。


父と母は私たち兄弟が家を出てからもしばらくは高知で暮らしていましたが、
その家を手放して、最終的には兄家族と一緒に大阪で暮らしていました。


その移住の決断をしたのは、もし自分が先に逝ってしまったときに
母が1人で寂しい思いをしないため。なかなかすごい決断だと思います。
でも母が先に逝ってしまいました。
母が亡くなった後、よく高知への郷愁を語っていました。
高知によっぽど帰りたかったんでしょうね。


年配の男の人というくくりで言うのもなんですが、社交的な人で、
その年齢の男の人のわりには沢山の友人が高知にはいましたし。


もうそんなことはできないよというのは多分わかっていたのでしょうけど
高知に帰りたかったんでしょうね。
そういう気持ちがなんとなくわかるトシに私もなってきました。
父ほど高知に長く住んだわけでもないのにね。


高知は帰る所ではなく行く所になってしまったのは私にも残念でした。



高知のお墓もいずれ大阪に持ってくる事になるのですが、
そうなると本当に高知は行く事がなくなってしまうでしょうね。
寂しいですが、仕方がない。



高知で暮らした日々に特別な事があったわけでもなく、
ただ毎日を家族と暮らしただけなのですが、やっぱり生まれ育った場所というのは
特別なんでしょうね。

兄から届いた写真のうちの一枚。
彼岸花、この辺ではまだ全然見ていないのですが、
お墓のあたりには咲いているんですね。



と、高知の事を思っていたらインスタでフォローしている
デパートの催事で高知のお酒「土佐鶴」の試飲販売会が
開催されると出ていました。

うーん。これは行ってみたい(笑)