穏やかに、でも楽しんで暮らしたい

1人暮らしシニアの日々

「流浪の月」と「彼らが本気で編むとき、」を読んで、見ました。

前に映画を見てしまったのだけれど、遅ればせながら「流浪の月」を読みました。
感想から言うと本を先に読んだ方が良かったかな。

映像から入って来る情報と文章から入って来るものはやっぱり違いますね。
それはそれでよかったのですが。
映画は有名どころの俳優さんが沢山出演されていたので
見られた方も多いでしょうか。子供時代の子役さんのあと、大人になってからを
広瀬すずさんが演じていました。



昨日この本を読み終えた後、
ふとつけたテレビで「彼らが本気で編むとき、」という映画を観ました。
何の前情報もなかったのですが、
生田斗真さんがトランスジェンダー役をするということで
少し前に話題になったんだそうです。でももう一人の主人公は小学生の女の子。



1日の間も置かず少女が主人公、、のお話を2作読んで、見る、事となりました。


「流浪の月」も「彼らが本気で編むとき、」もちょっと違った家庭環境の
中で生きて行く少女が主人公、そして両方ともなんだか生きにくい日々が続く。



中に含まれている社会問題的な事は沢山ありますが、私が引っかかったのは
「普通」


普通ってなんでしょね。
もちろん私もよく使う言葉です。
普通はそうなんじゃない?とか、普通そう思うでしょう、とか。



私が今までに一番衝撃を受けた「普通」という言葉は
息子が発した言葉


「うち(家)って普通やと思ってたんやけと違うんやな」
そんなに深刻な感じではなくって軽く言ったんですけどね。
本人も覚えていないでしょう。



そーかー。私は普通じゃないんだわーって。今でも覚えているということは
それなりに衝撃でした。。まあ確かにそうでしょう。
普通は子供たちが大きくなった後は仲良く夫婦で老後を過ごしていくんでしょうね。



「流浪の月」も「彼らが本気で編むとき、」も
普通に暮らしたいのに暮らせない、、という世界で生まれるお話(だと思う)





でも考えて見れば「普通」ってどんどん変わってきてると思う。



私が子供の頃はお母さんが家にいるのがわりと「普通」
でも最近はお母さんも外で仕事を持っているのが「普通」


そうだと思っていたら家で仕事も「普通」になってきた。



そんなこんな思っていたら「普通」って何?と考える必要もないと思い始めた。


なんでもありの最近の世の中


みんながちょっとした幸せを感じながら生活できたらそれでいいかな。


そういう人の邪魔だけはしない人でいたいなと思った次第。